数日後、維盛は六波羅殿にいた。ここは、かつて六波羅館と呼ばれ、平氏の権勢が最盛期の頃に平氏の拠点になっていた場所で、3千以上の邸宅が立ち並ぶ平氏一門の居住地域でもあった。1183年平氏が都落ちする際に六波羅館は焼き払われ、平氏滅亡後は幕府方の京都守護の拠点として活用されていた。
滅亡後、再び平氏の亡者達が京都に現れるようになると、そこにあった建物や施設は消滅させ、真っ先にこの地を占拠し、自分達の根城となる山を築き始めた。山は都にそびえ立ち、六波羅山と名付けられ、六波羅殿はその頂に建立された巨大な御殿であった。
殿堂内は薄暗く、中央奥に清盛が腰掛けていた。その傍らには建礼門院が侍立し口を開いた。
「維盛、これへ」
数歩前に進み、維盛は清盛の前にひざまずいた。
「ぶざまだの~維盛。重盛がおったら、さぞ嘆くであろうな・・・相手はたった一人の坊主とか」
維盛は黙ったまま平伏している。
「またもや富士川で敗退か!恥を知れ!維盛!」
「維盛も十分、悔いています。過ぎた事を言っても仕方ないでしょう。その坊主が妖術のような力を使うのも事実、知度を簡単に消した相手です。どれだけの力を持っているのやら・・・」
横から建礼門院が割り込み、維盛を擁護した。
「うむ・・・その坊主が何者かわかったのか?」
「分かりませぬ。人なのか亡者なのかも」
うつむいていた維盛が、そのまま顔を上げずに答えた。
「六波羅殿もご存知です!琵琶法師の芳一、耳なし芳一ですよ」
「な、なんだとっ!あの、目が見えん弾き語りの小坊主か?」
「まことか?維盛」
維盛の答えに建礼門院も驚愕した。(信じられん・・・あの弱々しい若い坊主が、亡者を消し去るほど変貌したというのか・・・あの頃よりどれだけの年月がながれたのだろう)
徳子の脳裏には十数年前の琵琶を弾く芳一の姿が浮かび上がっていた。常世に落ちていった平氏の者たちが、再び現世に戻ってきたものの、世の中は変わり自分たちの居場所は既に無い。何もできずにただ彷徨い続け悲嘆に暮れている頃、芳一に出会った。絶望感しかない平氏の亡者たちにとって、芳一の弾き語りは唯一の慰みであった。
「また、聴いてみたいもんよの・・・のお、徳子、そう思わんか?」
「何をのんきな・・・二度と弾いてくれますまい」
「維盛、今回のことはもういい。下がれ!」
「ハッ」
清盛の冷ややかな処遇に苦笑いをして、維盛は堂内から消えていった。
「その坊主、何が目的だ?」
「さあ、存じませぬが、我らに強い敵対心を持っているようです」
「耳の事を恨んで、執念を燃やしているというのか・・・今どこに向かっている?」
「京に向かっているとか。意外と父上に用があるのかも」
清盛は不愉快そうな顔をして、強い語調で徳子に命じた。
「知盛に告げよ!坊主を生け捕りにせよ!と」
「ハッ」
うやうやしく頭を下げ、建礼門院も堂内から消えていった。