「名乗っておこうかい、ワシは左膳《ざぜん》という。坊さん、あんたその朽ちたような杖でワシと戦う気かい?」
左膳は皮肉交じりの笑みを浮かべた。芳一の錫杖は今にもへし折れそうなほど朽ちて見え、武器と言うにはお粗末すぎる。杖頭は銅製であろうが全体が黒ずんでいて、輪が一部ちぎれてしまっている。かつてはこの輪にいくつもの遊環が掛かっていただろうが、今では一つしか残っていない。芳一は素早く錫杖を振り杖頭を左膳に向けた。「チャリ」と遊環が音を立て、錫杖の先端が左膳目掛けて突進してきた。左膳は度肝を抜かれた。盲目でありながら身を潜めている大木に刃物を投げてきた芸当には感服したものの、汚れた身なりに、朽ちたような杖を持った芳一の姿には弱さしか感じていなかった。左膳は先刻の平知度を仕留めた芳一の姿を見ていなかった。
「むっ」錫杖で喉を貫かれそうになったが咄嗟にかわし、そのまま切り返して芳一目掛けて太刀を振り絞ったが、芳一は信じられない速さで後ろに退いている。(目が見えんというのは偽りか!?)
「ガシャッ」左膳の両腕に鈍い衝撃が伝わった。左膳の太刀が錫杖の輪に絡め取られてしまっている。太刀はそのまま芳一に払い落とされてしまい、「チャリン」と音がした瞬間左膳の眼前に錫杖の輪がピタリと留まっていた。左膳は息を飲んだ。(なんちゅう坊主じゃ・・・)芳一が坊主である事や盲目である事に疑問を感じているが、左膳もまた芳一の目を開けているところを見ていない。
芳一は左膳から離れ、薬菜に話し掛けた。
「薬菜殿、このお侍について行かれるがよい!怪しい者ではなさそうだ。」
左膳も薬菜もあっけにとられ、ポカンと口を開け芳一を見ている。
「長居をしたようだ。私はこれで失礼する」
芳一はそう言い残すと、さっさと歩いて行ってしまい、二人は遠退いて行く芳一の後ろ姿を黙って見ていた。
「なんじゃい?・・・たったの一合のやりあいで、あの坊主は何かを悟ったんかいの~?」
左膳は薬菜を見やって続けて言った。
「お主、あの坊主とはどんな関係じゃ?」
「単なる行きずりの関係よ」
左膳は「ゲホッ」とむせ込み、顔をしかめた。(本当にこの娘でええんかいの・・・)
都を占拠した平家の怨霊たちは、平家による支配体制を再興させることを目論み、徐々に都周辺にも触手を伸ばしていった。また、それと同時に平家にとっての仇敵である幕府方を滅亡させることも企てはじめたのであった。平維盛一行はその先遣として鎌倉に向かっている道中で、遠江の国分寺に駐留していた。
維盛に同行していた平忠度《ただのり》は国分寺の庭園で短冊を手に詩を詠んでいたが、そこへ一羽の骸骨の様な鳥がバサバサと音を立てながら舞い降りてきた。
「ん?紅か」
紅はその言葉に呼応するかのように「ガーッ」と忠度に向かって大きく鳴いた。
「なんだと!?知度が消された!?うう・・・信じられんな・・・とにかくこうしてはおれん!」
紅の一声を聞いた途端、平忠度は険しい顔をしながらその場から煙と化して消えていった。紅は庭園の灯籠に留まったままジッとしていた。この紅という鳥の亡霊は、かつては平家に飼われていた鳥であろう。