歴史ノンフィクション小説 その後の芳一 【第1話】

鎌倉期-寛喜二年(1230年) 

 富士川の河川沿いの土手道を一人の男が歩いている。土手沿いには菜の花があちこちに咲き乱れ、河川敷の石ころだらけのつまらない景色に華やかな彩りを加えていた。菜の花が放つ独特の香りは春を感じさせ、川の水と同様に山から流れ込む風が、その春の匂いをあたり一面にまきちらしている。

 男は白衣に袖の切れた黒い小袖をはおり、頭には網代傘を乗せ、右手には錫杖《しゃくじょう》を持って歩いている。身なりはかなりくたびれていて、手足の袖口はだらしなくほつれ、網代笠や草履もところどころささくれている。見た目は乞食坊主のようであるが、その容姿とは逆にしっかりとした足取りにしっかりとした姿勢で端然と歩いている。

 川の水は薄緑に濁り、激しい流れを音で示している。しばらく川沿いの土手道を歩いているが、川の流れ以外何も聞こえていない。が、坊主はにわかに足を止め耳をすました。

「おーい、助けてくれー!」

叫び声は若い女の声で、繰り返し助けを求める声が前方よりどんどん近付いて、その女は坊主の傍までたどり着き

「お坊さん、変な奴に追われているんだ!ねえ、助けて!」

と、必死な顔をしながら坊主に懇願したが、坊主はそれには応じず何事も無かったかのようにスタスタと通り過ぎて行ってしまった。女は一瞬、唖然としていたがムカついた表情に変わり

「この薄情者のハゲ坊主!うら若き乙女が助けを求めてんだろ!」

とむきになっている。この女、名前を薬菜《くすな》といい年は15才。薬菜は悔し紛れに坊主に続けざま悪態をついた。

「てやんで~、仏罰でも喰らえってんだ!草坊主」

 遠ざかる坊主の後ろ姿を、睨みつけていたが、背中に「ゾッ」とするような殺気を感じ、薬菜は我に返り、再びわめきながら走って逃げ出した。坊主は既に薬菜から50m以上離れた位置を歩いていたが、突然立ち止まり眉をひそめた。

 薬菜は青ざめた顔をして懸命に走っていると、前方に侍風の男が突如として現れた。薬菜はこの男にずっと付け回されていたのである。

「無駄だ小娘、逃げることなどできんわ」

と、男は薬菜の前にたちはだかり行く手を阻んだ。その男のいでたちは、直垂《ひたたれ》に小袴姿で槍を持っており一目で武士だとわかる格好をしていた。髪は結っておらず長い髪を後ろに流し、目つきは鋭く蛇のようだが、白目だけで瞳が無く、顔色は生気を失くしたような青白い顔をしている。口元を吊り上げながら笑っているが、その中にある歯はギザギザしてまるで牙のようだ。見るからにまともな人間ではなかった。

薬菜は開き直ったような顔つきをしながら舌打ちをした。

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