続けざま、男に背を向けていた坊主がふいに反転して錫杖の先端で、男の体を大きく切り裂いた。
「グエーッ!」
男は絶叫しながら地べたにひざまづき、肩で息をしながら坊主を見やった。
「貴様・・・俺が・・・平氏の者と知ってのことか・・・?」
「もちろん、知っている。お主、平知度《とものり》であろう」
「うむ・・・平氏に弓引く気か?・・・一体、我らに何の恨みがある?」
「些細なことだが・・・耳の恨みだ」
「き、貴様・・・まさか!?」
「さあ、地獄に帰れっ!」
知度は目を見開き驚愕した表情で、坊主が何者であるかを問いただそうとしたが、それを許さず坊主は錫杖で知度の体を貫いた。空間が歪むような絶叫があたりに響き渡り、平知度の体は風に吹かれた砂塵の如く消えてなくなってしまった。
薬菜は見たこともない一連の出来事に呆然としていたが、頭の中を謎めいた疑問が駆け巡っていた。
(源氏の者とは何のこと? 自分を追っていた平知度とは何者だったの? なぜ姿が煙のように消えてしまったの? この坊主は一体何者なの?人間じゃないの? 耳の恨み?・・・・・・)
平然と乱れた身なりを直している坊主の姿に薬菜は釘付けになっていた。
薬菜は動揺していたが、難が去ったことによる安堵感が心の中に広がり、複雑な心境だった。その場所からすぐに離れる気にはなれず、道端の草むらにあった岩に腰掛けて坊主の様子を伺っていた。坊主もそれに気づくと、薬菜に近寄ってきてささやいた。
「少し休んで行こうか」
独り言なのか話し掛けてきているのか判別がつかないセリフに、薬菜は黙っていたが、しばらくして口を開いた。
「ありがとう、お坊さん・・・というか、あんたお坊さん?それともお侍さんなの?」
「以前、ある寺に居たことがある。相当前のことだがね」
「ふ~ん、旅のお坊さん?ねえ、お坊さんの名前何ていうの!私の名前は薬菜」
「私は芳一と申す。用あって京に向かっている。お前さんは独りでどこに行こうとしているんだ?」
「えっ!?京に向かってるの?私も京に行ってみようかな、て思ってたの!」
「やめておけ、都は今、化け物共に支配されている」
「化け物?て、さっきの男みたいな奴のこと?」
「そうだ・・・・・・お前さん、源氏の者なのか?」
「わかんない・・・あの男言ってたね・・・あたい、小さい時から身内じゃないばあちゃんに育てられたから、自分のこともよくわかんないんだ。あんなこと、初めて言われたし・・・」
それ以降会話は途切れ、川の流れの音だけが幾重にも重なって聞こえていた。